私のホメオパス探しを通じて


1 ロシアでのホメオパシー

私が生まれたロシアでもホメオパシーは使われていたのですが、物質主義が主流になったソ連時代、[物質が残っていないのになぜ作用するのか]と疑われ、ホメオパシーは下火になっており、私がロシアに住んでいた当時、私はあまりホメオパシーのことを聞いたこともありませんでした。けれど今はかなり人気が高まっています。

 

2 フランスでのホメオパシー

夫の研修で渡仏した時、初めてホメオパシーと出会いました。1歳半の娘を現地の保育園に預けたときに、保育園で配られる育児雑誌で見た次のような記事が最初です。

その記事とは以下の内容です:

「去年の冬は あなたの子どもは風邪引きっぱなしだったのでは?今年も同じことを繰り返さないように早めにホメオパスによる体質改善を受けてみてはどうでしょう?」

 

私はこの記事を読み、すぐにインターネットでホメオパシーを調べ、フランス語で書かれたホメオパシー記事を見つけ、その不思議と面白さに大変感動し一気に読みました。そして、その年の冬、冷えて咳が治まらなくなった時、電話帳で近所のホメオパスを見つけ、かかる事にしました。私の咳は治った上に、まだ授乳中だったため、ホメオパシーは娘にも作用したらしく、睡眠が悪かった娘はよく眠れるようになりました。

 

 

3 帰国後日本で

その後、しばらくしてから日本に戻りました。その秋、娘が中耳炎になったのですが、耳鼻科の薬を飲んでもなかなか治らず、どうしようかと思い、娘が生まれた助産院に相談してみたところ、日本でもホメオパシー診療が受けられる事を教えてもらい、あるホメオパスの診察を受けました。すると2ヶ月も長引いていた娘の中耳炎は3日間ですっきり治り、本人も機嫌良く保育園に行き出しました。私はこれをきっかけに自分でもホメオパシーを学び始める事にしました。

 

 

4 娘を通じたホメオパシー

娘は元々アレルギー体質で、痒みなどに悩んだりもしていました。そこで自分でレメディーを選んで与えてもみましたが、反って体調を悪化させてしまい、咳がひどく出るようになりました。

そこでインターネットで見つけたインドのホメオパシー治療家にかかってみましたが、あまり効果がありませんでした。

次にホメオパシーフォーラムで知り合ったオーストラリアのホメオパスにかかってみて、ここでもあまり改善がみられず、次にアメリカ在住のロシア出身の医師にかかってみました。LMポテンシーを続けて長く使うような先生の処方は私には新しい経験にはなりましたが、娘の体調はさらに悪くなっていました。またこの時、ちょうど二人目の子供を出産した私も体調を悪くしていたので、この先生にかかってみましたが、さほどよくならなかったために、また別のホメオパスをインターネットで探し始めました。

そこでオランダー出身のホメオパスと出会いました。このホメオパスはインドでホメオパシーを見習いとして勉強した人で、大変豊富な経験を持っていた人でしたが、非常に多忙で(「植物のためのホメオパシー」なども執筆)、きちんとしたフォローアップはなされませんでした。時々よく作用するレメディーを薦めたりしてくれましたが、大きな前進があったかと言えば、そうではありませんでした。

 

こうしてホメオパスを色々探しているうちに、娘はあまりよくならないまま中学生になりました。

そして、中学3年になった頃、受験のストレスを機に大幅に体調を崩し、精神状態もとても悪くなり、不登校になりました。慌ててスカイプでJeremy Sherrに相談してみましたが、娘の状態があまりにも深刻だったので、レメディーがうまく作用せず、また知り合いの神戸在住のドイツ人ホメオパスが薦めてくれたアメリカの女性のホメオパスに変えてみました。センセーションメソッドを主に使っていた先生でしたが、英語が不得意な娘に対応するために普通のクラシカル・アプローチをとってくれました。最初はとてもよく作用するレメディーを処方してくれました。娘が大変な熱を出した後に調子が上がって、一年も学校に行けなかったのに、高校にも合格しました。しかしこれは、Jeremy Sherrとの後に、子供の健康への心配からパニック状態になっている自分に気づき、私自身がイグナシアをとってみたからではないかとも思います。ホメオパスとの連絡の全てを担っていた私がレメディーによって落ち着いたことで、アメリカのホメオパスとの診察がうまくできたのだと思います。

 

5 ウクライナのホメオパス・ビクトル先生との出会い

高校に入学したものの、体力が不充分だった娘は、秋頃また体調を崩し、よく眠れなくなり、また学校に行けなくなりました。アメリカのホメオパスと頻繁にスカイプで話しましたが、結局春になっても娘は登校できなかったので、今度は以前紹介してもらっていたウクライナのビクトル先生にかかることにしました。

ビクトル先生からはまず長い長い問診票が送られてきますので、これに全て答え送り返します(送信受信ともにメールを利用)。そしてこれをもとに処方されたレメディーを与え始めたら、娘はよく眠れるようになり、食欲も出てきて秋から割と気持ちよく学校に行けるようになりました。以前知り合った友達と再開して、とても楽しそうにして、勉強も楽しくできて、かなりいい点数をとることもでき出しました。ビクトル先生からしっかりフォローアップもいただき、時々必要なレメディーを摂りながら進んできた事で、今はかなり安定してきています。知らないうちに喘息っぽい咳も出なくなり、皮膚の状態も相当改善しています。

 

また3年間、娘の世話を昼も夜もほぼ一人して相当体調を崩していた私もビクトル先生にかかり始めました。最初はさほどよくなかったのですが、半年もすれば、レメディーがうまく作用するようになり、今は多少問題が残っていますが、ずいぶん元気になりました。慢性的な不調に悩んでいる日本人の夫も先生にかかりましたし、また夜尿症がなかなか治らなかった長男もかかりました。

 

6 ホメオパスに必要な事と今後

今、一番ネックになっているのは全員の定期的な報告を、私がロシア語で書かなければいけないことでしょう。そのために私はほぼ毎日、みんなの健康日記をつけ、報告書を書く時は、さらに症状と状態の「まとめ」を作ります。とても大変ですが、結果として家族全体の雰囲気が確実によくなってきているのを実感しているので、この仕事をしっかりやらないと痛感しています。

 

まだまだ治療の途中ですが、去年夢にも見ていなかった安心感を、今年はほぼごく当然に感じるようにもなりました。ホメオパシーのおかげでどれだけ楽に、そして創造的で面白い人生を送ることができているかを考えるにつけ、ビクトル先生とホメオパシーの力に感動しています。いや、ホメオパシーの力に関してはそのすごさを最初から何となく感じていましたが、それより世界中の6人のホメオパスの治療を受け、ビクトル先生にやっと出会えた時、ホメオパシーはすごいからこそ、その力を発揮するためにすばらしい技術を必要としていることを改めて実感できました。